腐った日常、歪みきった思想

8時起床、人生で最悪の年明けをありがとう。頭痛や倦怠感を覚え床に伏したのが昨日、未だ拭えない倦怠感と共に目を開く。受験生なので勿論勉強、といきたいところだが寝る以外に選択肢は無い。ここで病気になるくらいなら受験当日に病原菌を世間に振り撒きたかった。自分の憎しみのぶつける先が無いからと他人に当たるのは醜い

初日の出というか太陽は今日一切見ていない。カーテンに遮られた一室で惰眠を貪りインターネットに散らばる3流作品を鑑賞する。非常につまらない。単語帳を見ている方がマシだ。そして恐ろしいことにこれが私の日常なのだ。吐き気がする。こんな何も生み出さない人間が、何の努力もしない人間が生きていていいのか?と度々思う。他人にもそんな考えを抱かずにはいられない。「こいつは中流階級出身だ。資産があり、人間関係は円滑、チャンスは俺以上にある、あったはず。恵まれているのになぜ努力をしない?貧相な語彙、話題も下卑ている。俺より上に行けたはずの人間がなぜ俺より頭が悪い?俺より上の世界に生まれた人間をなぜ俺が見下ろしている?こんな人間が生きていていいのか?」

結局の所これは嫉妬であり、許されない優生思想である。それを理解しているが完全には飲み込めていないのが現状だ。現在読書中の本にこう書いてある。「哲学とはほんらい郷愁である」つまり、哲学とは感動が絶対条件なのだ。その思想に触れ感動することでないと意味が無い。私は自分の愚かさを知りながらその原因を知って尚直そうと思っていない。他人の豊かさに嫉妬し差別することが限界の自分には呆れるというか、もう期待できない。恥ずべき、直すべき部分が多すぎる。他人はどうなのだろうか。愚かしい自分との折り合いをどのようにしてつけているのだろうか。

人は他人と同じでありたいらしい。笑ってしまう。SNSでは「自分はあなたたちと違う!自分はあなたたちよりセンスがあって〜」などと滑稽極まりない投稿が散見するというのに。そう、人は他人と同列ではありたくないのだ。しかし服垢など見れば分かる事だが彼らは皆同じないし似たような服を着用している。画一的な服装ばかりなのに他人をバカにするような投稿だらけ、そう彼らはマイノリティでいたいのだ。しかしながら本当のひとりぼっちにはなりたくない。世間的に見てマイノリティ、小さいコミュニティの中ではマジョリティでいたいのだ。安心を求めて。他人を見下しながら、自分は他人と違うと、たかが服を購入し着用した程度でだ。彼らのように外見にばかり拘り中身がすっからかんな人間は少なくない。

誰かとずっと一緒でいたい。全て受け入れて欲しい、全て肯定してほしい自分の全てを知って欲しい。これは心の弱さの現れではないだろうか?自分に芯を据え生きねばと思う。他人に寄りかかりすぎると不幸ばかり産んでしまう。私の友人の母親もそうだ。自分の心配を理由に未だ友人を自由にさせない。もう彼は自分の意見を言わなくなった。いや、意見なんて無いのかもしれない。私は命令されるのが嫌いだ。仮に学校の教師でも「〜しろ」と言われるだけでイラッとする。そしてそれは他人でもそうだ。なぜ反抗しない?そうだ、私も自分と同じであってほしい

私は他人をバカにし嫌いなところばかり目につけて非難するが、だからといって自分を棚上げしたくない。それはフェアじゃない。歪んだ性格の中に愚直な真面目さが垣間見える。生きづらいとはこのことだろう